一時期、タルパの敬語使用について話題になりました。
「タルパは敬語を使えた方が得だ」と言う人と「タメ口はタルパの個性だから崩したくない」と言う人の両方の意見が見られました。
今でも後者はプロフィールに「敬語を使えない子」だと注意書きをするなどその影響は残っています。
「タメ口は個性だ」という主張には何が根付いているのかを考えてみた所、自閉症スペクトラム障害の特性が少なからず現れているのではないかという結論に行き着きました。
まず、このような人がタルパをコンテンツとして扱いたいと考えている場合は今回の考察の対象外です。
コンテンツとして扱いたいのならキャラ崩壊を避けたいと思うのは自然な事です。
ここではタルパを実在の人間のように扱いたいが敬語は使わせたくないと言う人について考察していきます。
「口調は個性だ」と考える人は、タルパの性格を表す手段としてタメ口を使う設定にします。
こういう人達にとってタルパに敬語を使わせる事はそのタルパの根本的な性格さえ変えてしまう事なのです。
一般的には、口調を変えただけで性格は変わらないと考えられるでしょう。
しかし口調を個性だと捉えている人達は “口調=性格” と両者を互いに切って離せない関係だと認識しているのです。
それはその人達が口調以外での性格の把握が困難であることを意味します。
例えば特徴的な喋り方をする芸能人を見て「個性的だ」と捉えますが、その人がかしこまった言動をしている場面を見ると「何の個性も無い、つまらない人だ」と感じるかもしれません。
性格は本来目に見える言動ではなくその裏に根付いたものの考え方を指す言葉ですが、人が物事をどのように考えているかを把握するのが困難な人は表面上の振る舞いのみで性格を把握していると考えられます。
これはASDの特徴の一つである「想像力の障害」に当たります。
「口調を変えただけで性格はタルパーと変わっていない」と言われているタルパを見たことがありますが、そのタルパーも同じく個性を表す手段として口調という実際に見聞きできるもののみを利用していると推測できます。
ASDには『同一性の保持』という、変化を嫌い同じことの繰り返しを好む特性があります。
ASDのタルパーはタルパに対しても行動が一貫してほしいと願い、タルパが必要に応じて口調を使い分けるという臨機応変な対応は難しいと考えられます。
ASDの人の中には誰彼構わず常に敬語で話す人がいますが、タメ口タルパはその逆パターンです。
彼らはタメ口を使うことによって意図的に相手を不快にさせたい訳ではなく、いつ敬語に切り替えたら良いのか分からないためタメ口で一貫させているのかもしれません。
それなら「なぜ常に敬語にしないのか?」と思う人もいるかもしれませんが、先程述べた通り、彼らは “タメ口を使うような性格のタルパ” を作りたいのです。
彼らはタルパの性格を表現するためにタルパにタメ口を使わせ、そしてその口調で一貫させているのです。
また、「敬語を使うタイミングが分からない」ではなく「タイミングは分かっているけどその時にも敬語は使わせたくない」と思う人もいるかもしれません。
これも同一性の保持が大きく影響しています。
定型発達者が「一度くらい敬語にしても良いじゃないか」と思う所を、ASD傾向の強い人は「このタルパはタメ口でないといけない」というこだわりを持っているのです。