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自閉スペクトラム症と思念体

ASD and thoughtforms

※このページでは心因的な(オカルトの技術が出会いに関わった存在を除いた)思念体をすべて「イマジナリーフレンド」と同等のものとして考察します。
 
 
 
イマジナリーフレンドを持つ人は「共感性が豊か」「コミュニケーション能力が優れている」という特徴が見られます。

これらの特性はASD(自閉スペクトラム症)の特性と真逆です。
しかしながら、ASDでありながらイマジナリーフレンドや思念体を持つ人がいるというのも事実です。

この一見矛盾しているような事実はなぜ存在するのか考えてみましょう。

ASDの想像力

ASDは想像力が欠如する障害です。
しかしながら想像力が豊かな人が持つイマジナリーフレンドをASDでも持つことが可能なのは、ASDに欠乏している「想像力」とイマジナリーフレンドを作るための「想像力」は別物だからです。

ASDにおける「想像力」とは「言われていない気持ちを察する」など “他人の気持ちに関する想像力” です。これは想像そのものができないという訳ではなく、ASDの想像した相手の気持ちと実際の相手の気持ちにズレが生じていることを意味します。

イマジナリーフレンドなど思念体を作るための想像力は、「そこにいない存在を想像する力」です。
これは完全に主観的な想像であり「何を想像したら正解か」はありません。
なのでASDにとってもできる想像となるのです。

思念体と関わる際には、確かに「相手がどのような返答をするか」を想像しますが、コミュニケーションは全て想像の中で行われるので完全に主観的な返答となります。
ASDは「相手の気持ちを想像しない」ではなく、「“正確な”相手の気持ちを想像できない」のです。
つまり健常者の持つ思念体は現実的に適切である返答をするのに対し、ASDの持つ思念体は独特な返答をするのです。

ASDは健常者より思念体にハマりやすい?

ASDの人の中で、現実の人間と関わることにはあまり興味が無いのにも関わらず思念体と関わることは好きだと思う人はいないでしょうか?
少なくとも私はその傾向があります。

私はASDの人は思念体、もっと言えば空想世界にハマりやすいと考えています。
その理由として、没入傾向もそうですがASDの「変化への対応の困難さ」「コミュニケーションの困難さ」が挙げられます。

ASDは自分の予測内で物事が進むことを好みます。
空想世界は全て自分の意思でコントロールできることから、ASDは空想世界をとても居心地の良い場所だと感じるのです。

また、ASDは他人との意思疎通がうまく行かず困難を感じることがよくあります。
しかし、思念体との会話においては現実のような食い違いは生じません。ASDの人は想像内の相手と “のみ” スムーズな意思疎通が可能なのです。

思念体は自分のことを分かってくれて、欲しい答えを返してくれて、嫌味も言わないのです。
そのような事から「自分を分かってくれるのは思念体のみだ」と思っているASDの人もいるでしょう。ハ〜イ!(๑╹◡╹๑)ノ

自他境界の曖昧さ

「ASDはサリーアン課題の正答率が低い」「ASDは“行く”と“来る”を間違える」など、ASDには自他境界が曖昧だという特徴があります。
ASDの人は、確かに聞いたことのある話だけれどそれが自分が話した内容か他人が話した内容か覚えていない事もあります。

アスペルガー症候群と診断されている私はその面での記憶がたいへんに苦手で、小説を読んでいても登場人物とセリフが結びつかず混乱することがしばしばあります。サリーアンならまだしも、アイスクリーム課題となると混乱して解けません。

それはおそらくASDの記憶方法が特殊だからではないかと考えています。
私は登場人物が複数出てくる本──本ほど長くはない心の理論課題の短文でも──を読む際、普段とは違う記憶の仕方をして、とても疲れます。「誰が何をした」という覚え方は慣れていないのです。

ASDには『タイムスリップ現象』と呼ばれる、ある時に経験した内容をそっくりそのまま体験する現象が見られます。
また『カクテルパーティー効果』と呼ばれる、複数の音から雑音をシャットアウトして声のみを聞き取るという脳の働きも見られません。
この2例から、ASDは記憶する際に五感ごと記憶しているのではないかと推測できます。

つまりASDの人が本を読む際に記憶しているのは「どの位置にどんな言葉が書かれていたか」や「どの順番で言葉を読んだか」なのです。
定型発達の人が人物と言動を結び付けられるのに対し、ASDの人にとってそれは困難な事なのです。

「自他区別がつかない」ということは「自分と他人の言動を区別して記憶できない」ということですが、それは他人の言葉として思い出す際に自分が言ったことを他人が言ったかのように錯覚する事もあるということになるのです。

これがイマジナリーフレンド形成にどう影響するのかと言うと、「自分が言ったことを他人が言ったかのように錯覚する」これにおける「他人」をイマジナリーフレンドと見なす事ができるのです。逆説的ですが、自他境界が曖昧であるほど自分の考えに対して「これは自分ではない第三者の考えだ」と認識することが容易にできるのです。
ASDの人にとって、イマジナリーフレンドは分裂した自分の一つであると感じるかもしれません。

またASDの人が複数のイマジナリーフレンドを作る場合、ASDは『性格』という概念の把握が困難であるため自分とイマジナリーフレンドの区別を微妙な性格の違いでせずに口調や突出した個性で表すかもしれません。
私は18歳まで「性格」の概念の把握が困難でした。今までどのように「性格」という言葉を捉えていたのかと言うと「優等生でテストは毎回学年トップ」や「誰に対しても敬語」など、数字や見聞きして分かる情報が元となったものでした。
ASDは「性格=相手がどのような考え方をするのかの傾向」を察することが非常に困難なため、内面的な考えの違いでそれぞれのイマジナリーフレンドを区別することは困難な事だと思います。

キャラクターのピック・アップ

ASDの人の持つイマジナリーフレンドにはアニメやゲームなどの世界観やキャラクターが強く影響されていることがあります。
例えば好きなキャラクターの要素をイマジナリーフレンドに盛り込むなどです。
これは『キャラクターのピック・アップ』と呼ばれます。

私の場合、今までいたPOの振る舞いはそのぬいぐるみのキャラクターの振る舞いに沿ったものがほとんどでした。また、『Berry’s』の世界観は完全にとあるゲームのオマージュですし、『VFW』の世界観は旧約聖書やゾロアスター教の神話に基づいています。