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保持者と関わっていない時思念体は何してる?

実際には一時的に消えている説

通常思念体と保持者は記憶を共有していて、思念体がしたことは全て保持者が把握していると私は考えています。
「保持者が思念体と関わっていない時にも思念体は何かしているはずだ」という考えからこの考えを否定することもあります(私もそう信じています)が、その場合「きっと何かをしているだろう、そう信じたい」という願いに過ぎず、「保持者と関わっていない時に思念体は一時的に消えたのではなく存在して何かをしていたということを証明できるか?」となれば難しいと思います。

そもそも思念体は保持者の想像によって生み出されます。
保持者が想像をしている限りは思念体は存在するし、逆にそのような想像をしなければ思念体は存在しないことになります。

では、一時的に思念体を意識しない時があっても「その時にも思念体は存在している」と思っていたのならどうでしょう?
これは言い換えれば、実際には想像していない時が存在するのにも関わらず「想像を絶やさない」と認識していることになります。

思念体は基本的には “現在” に照らし合わせて存在させるものになりますが、思念体がいなかったはずの “過去” に「思念体はいた」と上書きすること、また思念体が消えるかもしれない “未来” に「思念体は消えない」と断言した内容は果たして真実と言えるのでしょうか?
分かりやすい例をあげると、「思念体は四六時中消えない」という考えは「思念体は自分が生まれる前から存在していた」という考えや「思念体は自分が死んでも消えない」という考えに非常によく似ています。
そのような考えは “真実” として成り立つのでしょうか?

この答えを出すのは非常に難しいことだと言えます。
似たような考えに「人が先か、神が先か」というものがありますが、この「人が先」という考えが「思念体は一時的に消える」という考えに値しますし、「神が先」という考えが「思念体は四六時中消えない」という考えに値します。
私はそのテーマに関して時系列的に考えて「人が先である」という説を信じていますが、思念体は個人の心の中で完結するものである以上、その人が「自分の心の中ではそれが真実である」と思ったら真実──つまりたとえ過去だろうと未来だろうと保持者が「その時に思念体は存在する」と認識する限りその時思念体は存在する──なのかもしれません。

思念体は保持者が知らないことを知っている?

時々「忘れてたことを思念体が教えてくれた!」というような話を聞きます。
果たして思念体にこのようなことはできるのか考えてみました。

結論から述べると、できると思います。
しかしそれは思念体と言うよりは解離に近いと考えています。